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―”画像-1”― ■■「高麗茶碗とは』・・・■■ ●●「大井戸・(おおいど)」・・・●● ◆大井戸茶碗・銘・「有楽」・(東京国立博物館)。 ★数ある高麗茶碗のなかで、最も声価が高い。井戸茶碗には名物手といわれる大井戸のほか青井  戸・小井戸・小貫入井戸などの種類がある。井戸
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―”画像-1”―

■■「高麗茶碗とは』・・・■■

●●「大井戸・(おおいど)」・・・●●

◆大井戸茶碗・銘・「有楽」・(東京国立博物館)。

★数ある高麗茶碗のなかで、最も声価が高い。井戸茶碗には名物手といわれる大井戸のほか青井
 戸・小井戸・小貫入井戸などの種類がある。井戸という名称は、所持者の名前・(井戸若狭守
 )・によるものであるとか、見込みの深さを形容してのことであるとか、焼成された地名に由
 来するなど、諸説様々である。写真の大井戸は、織田有楽の所持品であったと伝えられ・「喜
 左衛門」・「筒井筒」・「加賀」・「細川」・と並んで名物手のなかでも屈指の名器である。

―”大井戸の約束”―

★口径15センチ前後の深い朝顔形の姿。厚くかかった枇杷色の釉薬。ゆったりと胴にめぐる轆
 轤目。竹の節高台と高台脇の力強い削り跡。高台付近に生じた梅華皮・(かいらぎ)。見込み
 の自然な茶溜り。                                  

●●「青井戸・(あおいど)」・・・●●

◆青井戸茶碗・銘・「瀬尾」・(福岡市美術館)。 

★全体に釉薬が青味を帯びているためにこの名がある。大井戸よりも小さく、開いた姿だが作風
 はよく似ている。渋い青は侘びの茶風が好む枯れた風情。因みに、小井戸とは、大井戸と比べ
 て小ぶりで薄作、小貫入は釉に細かい貫入のある小ぶりな井戸のことをいう。       

●●「井戸脇・(いどわき)」・・・●●

◆井戸脇茶碗・(二種・福岡市美術館)。     

★井戸茶碗の条件を必ずしも備えてはいないが釉薬の調子や土味が井戸と似ている茶碗を井戸の
 脇にあるという意味から、井戸脇とよんでいる。そのため、写真右の茶碗は、高麗茶碗には珍
 しい筒形だが、これも井戸脇茶碗に分類される。                    

―”本-画像”―


■■『高麗茶碗とは』・・・■■

★中国の唐物茶碗に対して朝鮮の茶碗を高麗茶碗という。およそ、十世紀から十四世紀までが高麗王朝十五世紀
 から十九世紀までが李朝。高麗茶碗といってもほとんどは李朝になってからのもので、約六百年間日本に渡り
 つづけてきた。鎌倉期、南北朝から喫茶の風習は禅院を中心にひろまり、足利時代には将軍家を中心に上級社
 会へと普及してゆく。台子点前であり唐物道具が尊重された。応仁の乱後の荒廃した世情は無常観が一層徹底
 した社会の価値も変わり、民衆が一揆をおこす世情となる。京都・堺の裕福な町衆たちにも喫茶は流行し、台
 子点前をはなれた侘び茶が唱えられた。村田珠光・武野紹鴎・千利休らは道具の美術鑑賞から一歩奥へ踏み込
 んで、茶の湯の一座建立に人間の心の協調共存をめざした。侘びとはものの足わぬこと、この世は苦であり無
 常である。完全な美をよりどころとする唐物茶碗ではなく、無心で自由、かつ素朴な高麗茶碗こそ、侘びの美
 意識にふさわしいものとしてとりあげた。                              

●●「高麗青磁」・・●●

◆高麗青磁茶碗。                

★高麗青磁は、その多くが高麗時代に焼からた数少ない茶碗。唐物の青磁と比べて渋みを帯びた
 沈んだ色である。                                  

●●「古雲鶴」・・・●●

◆狂言袴茶碗・銘・「浪花筒」・(潁川美術館)。 

★文様を彫り、白土や赤土をうめて青磁釉をかけて焼く象嵌青磁の技法が用いられている。この
 手の茶碗は、高麗時代後期から李朝初期の作といわれる。雲と鶴の文様の茶碗を雲鶴と呼び、
 象嵌青磁の一種で、狂言師のはく袴の紋に似た丸文が施されたものを狂言袴という。    

●●「三島」・・・・●●

◆上田暦手三島茶碗・(根津美術館)。      

★高麗時代の象嵌青磁の技法が李朝になって退化したもの。井戸とともにもっとも早くから日本
 に伝えられた。文様が静岡県三島市三島神社が発行する暦に似ていることから名づけられたと
 いう説がある。暦手三島・礼賓三島・花三島・掻き落とし手三島・彫三島に分類する。   

 




■■『高麗茶碗とは』・・・■■

●●「刷毛目」・・・●●

◆刷毛目茶碗・銘・「水鳥」。

●●「粉引」・・・●●

◆粉引茶碗と無地刷毛目茶碗。

 




■■『高麗茶碗とは』・・・■■

●●「堅手」・・・・●●

◆堅手茶碗・銘・「秋かぜ」・(静嘉堂文庫)。   

●●「玉子手」・・・●●

◆玉子手茶碗・銘・「小倉山」・(静嘉堂文庫)。  

●●「熊川」・・・・●●

◆鬼熊川茶碗・銘・「田子月」・(東京国立博物館)。

●●「呉器」・・・・●●

◆尼呉器茶碗・銘・「小倉山」・(藤田美術館)。  

 




■■『高麗茶碗とは』・・・■■

●●「斗々屋」・・・●●

◆斗々屋茶碗・(サンリツ服部美術館)。     

●●「蕎麦」・・・・●●

◆蕎麦茶碗・(李朝初期)。           

●●「伊羅保」・・・●●

◆釘伊羅保茶碗・銘・「苔清水」・(五島美術館)。

●●「柿の蔕」・・・●●

◆柿の蔕茶碗・銘・「青柿」・(五島美術館)。  

 




■■『織部時代の高麗茶碗』・・・■■

●●「御所丸」・・・●●

◆御所丸茶碗・黒刷毛目    ・(静嘉堂文庫)。
◆黒織部沓茶碗・銘・「わらや」・(五島美術館)。

●●「彫三島」・・・●●

◆彫三島茶碗・銘・「木村」・(東京国立博物館)。

●●「金海」・・・●●

◆金海茶碗・(静堂文庫)。           

 




■■「無作意の美を賞翫する」・・・■■

●●「自然物のごとき高麗茶碗の景色」・・・●●

●「目跡・(めあと)」・・・●

★高麗茶碗はその多くが日用の雑器として作られた器。たくさんの茶碗を一度に焼くために、成形した茶碗を
 いくつも重ねて窯に入れる。その際、器と器がくっいてしまわないように、上の茶碗の高台畳付の部分と、
 下の茶碗の見込みの部分のあいだに、いくつかの小さな粘土の塊を隔てとして挟んだ。焼きあがって粘土を
 取れば、その痕跡が畳付きと見込みにのこる・(当然のことだがいちばん上に積み上げられた茶碗の見込み
 には存在しない)・これが目跡である。目跡は高麗茶碗の見込み、高台と鑑賞する際の重要な景色とされる
 。使いこまれた茶碗の目跡は、黒ずみ、えもいわれぬ風格を醸しだす。また、粘土の塊の替りに隔てとして
 砂を置いた場合その跡は・「砂目」・と呼ばれる。                         

◆井戸脇茶碗・(高台・見込み)。

●「梅華皮・(かいらぎ)」・・・●

★井戸茶碗などの高台付近にみられる釉薬の縮れを、梅の木肌に譬えてこう呼ぶ。梅華皮が生じる理由には、
 二つの条件が考えられる。轆轤びきのあと、高台を荒々しく箆で削り出すと、土がめくれて、ささくれだっ
 た状態になる。そこに釉薬をかけて焼成すると、肌に均等に釉がかからず、縮れて固まる。また、重ね焼き
 を行うと、どうしても茶碗の腰から下の部分は温度が上がらない。このため、釉薬が完全に溶けていない状
 態、玉のように固まったままで窯出しされるころになる。梅華皮はことに井戸茶碗の豪快な味わいの条件と
 して、茶人にやかましくいわれる。                                

◆大井戸茶碗・銘・「有楽」・(東京国立博物館)。

 




●「片身替り・(かたみがわり)」・・・●

★釉薬の調子が半分づつ、あるいは一部異なっていることを片身替りと呼ぶ。焼成の際、窯の炎の酸素の量に
 よって、同じ土、釉薬でも発色が異なる。酸素が少ない状態で焼かれることを還元炎酸焼成という。その逆
 に、酸素が多い状態で焼かれたときは酸化炎焼成。一般に長石釉の場合、還元炎では鼠色を呈し、酸化炎で
 は赤味を帯びる。窯のなかで釉薬が溶けるとき、偶然の作用で、一部が酸化炎・一部が還元炎で焼かれると
 いう不均等な焼成が行われると、片身替りの景色が生まれる。片身替りは、蕎麦・斗々屋・呉器などに多く
 みられる景色である。                                      

◆御本半使茶碗。      

●「火間・(ひま)」・・・●

★全体にかけられるはずの釉薬が、一部かけのこされ、素地が見えている状態のこと。朝鮮の陶工が無造作に
 釉がけした際に、偶然生まれた・「かけはずれ」・である。火間の印象が茶碗の景色となる場合も多い。不
 完全な美を尊ぶ侘びの美意識は、これを欠点とせず、見どころとしたのである。            

◆熊川茶碗・(見込み)。  

●「貫入・(かんにゅう)」・・・●

★釉薬の表面にあらわれた細かなひび割れのこと。焼成した際の、釉薬と素地の収縮率の違いから生じること
 が多い。また、使い込まれていくうちに、ひび割れに湯や茶がしみこみ、貫入は黒く、よりはっきりと刻ま
 れていく。                                           

◆雨漏堅手茶碗・(見込み)。

 

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■茶道誌■『なごみ』■『茶碗・②・「高麗と御本」』■「高麗茶碗とは」―高麗青磁/古雲鶴・(こうんかく)/三島・(みしま)/刷毛目・(刷毛目)/粉引・(こひき)/無地刷毛目・(むじはけめ)/堅手・(かたで)/玉子手・(たまごで)/熊川・(こもがい)/呉器・(ごき)/大井戸・(おおいど)・大井戸の約束/青井戸・(あおいど)/井戸脇・(いどわき)/斗々屋・(ととや)/蕎麦・(そば)/伊羅保・(いらほ)/柿の蔕・(かきのへた)■「織部の時代の高麗茶碗」―御所丸・(ごしょまる)/彫三島・(ほりみしま)/金海茶碗・(きんかい)■「御本茶碗の登場」―御本彫三島茶碗/遠州好みの前期御本茶碗/御本茶碗の変遷/新渡り御本■「無作意の美を賞翫する」―目跡・(めあと)/井戸脇茶碗・(高台・見込み)/梅華皮・(かいらぎ)/片身替り・(かたみがわり)/火間・(ひま)/貫入・(かんにゅう)■「高麗と御本の質問室」・(Q&A・11問)■千利休/古田織部/小堀遠州茶道史Q&A―「喫茶の原風景」―わび茶の誕生■李朝/高麗■茶道/道具■以下詳細をご覧下さい!!■




■■『茶道誌』・・・■■



●●『なごみ』・・・●●

**”(1997年10月・通巻第214号)”**



■■『特集』・・・■■


―”茶碗・2”―

●●『高麗と御本』・・・●●

**”監修・文-杉浦澄子/撮影-小林庸浩”**

**”約・40頁”**

★室町時代・侘茶の精神は・朝鮮の無名の匠の手による
 衒いのない茶碗の美を発見した。
 その後・茶人たちの美意識の変遷は・様々な作意を込
 めた注文茶碗・すなわち御本茶碗を生み出すにい至る。
 シリーズで学ぶ茶碗・第二回は・高麗茶碗と御本茶碗
 の魅力を紹介。



■発行日=平成9年10月1日。
■発行所=株式会社・淡交社。
■サイズ=18×25.5cm。
■定価=840円。
■状態=美品。
  ●表紙に・多少のキズ・ヤケが有ります。
  ●本誌内に・多少の・ヤケが見えますが
  ●大きなダメージは無く
  ●年代的には・良い状態に思います。



◆◆注意・・・◆◆

 ★発行日より・経年を経て下ります。
  コンディションに係らず・古書で有る事を
  充分に御理解の上・御入札下さい。

 ★神経質な方は入札をご辞退下さい・・!!



●全・128頁・・・!!



●特集・「高麗と御本」・・・!!

  ◆は・約40頁です。

  ◆(なごみ・1997年・茶碗特集の・2冊目です)。

  ◆1冊目は・現在出品中・5月6日終了の・
        「茶碗 ① 唐物の時代」・になります。



●茶道史Q&A・「喫茶の原風景」・・・!!

**”谷端昭夫・(裏千家学園講師)”**

**”(6頁・白黒)”**

―”わび茶の誕生”―

  ★「茶の湯・『茶道』・という言葉はいつごろから
    使われたのですか。」

  ★「茶は・初めから・『わび』『さび』・の世界と
    いわれたのですか。」

  ★「『闘茶』・で勝と何が得られたのですか。」

  ★「『わび』・という意識を持ち込んだのは利休居
    士ですか。」

  ★「村田珠光は・『わび』『わび茶』・言葉を使っ
    たのですか。」

  ★「村田珠光はどんな茶道具を使ったのですか。」

  ★「村田珠光・武野紹鴎・利休居士・それぞれの茶
    はどこが違うのです。」



●蒐集・資料などの・参考に・・・!!



●探されていた方は・この機会に・・・!!



●以下・詳細をご覧ください・・・!!

  ◆掲載案内は・抜粋し掲載して下ります・・・!!

  ◆掲載内容は・Q&Aより・問い合わせ下さい。

  ◆数字記載は目視です・間違いは御容赦下さい。



●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と致します。



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



■■『高麗と御本』・・・■■

―”監修・文・杉浦澄子/撮影・小林庸浩”―

**”約・40頁”**

★室町時代、侘び茶の精神は、朝鮮の無名の匠の手によ
 る衒いのない茶碗の美を発見した。
 その後、茶人たちの美意識の変遷は、様々な作意を込
 めた注文茶碗、すなわち御本茶碗を生みだすに至る。
 シリーズで、学ぶ茶碗・第二回は、高麗茶碗と御本茶
 碗の魅力を紹介。

  ◆堅手茶碗。

  ◆御本茶碗。



―”侘びの季節の取り合わせ”―

●●「名残りの茶事」・・・●●


●「濃茶席」・・・●

―”伝世の堅手茶碗を主役に”―

  ◆風炉-畠春斎・鉄・平丸。

  ◆釜-九代宮崎寒雉・当代寒雉極。

  ◆水指―紹鴎信楽・桃山期。

  ◆茶入-古備前・江戸初期。

  ◆茶杓―片桐石州・共筒・内箱・玄々斎・外箱・淡
      々斎。

  ◆茶碗―堅手・李朝初期。

  ◆建水-李朝鉄砂。

  ◆蓋置-竹・鵬雲斎家元・在判・共箱。


●「薄茶席」・・・●

―”御本黄伊羅保で秋らしく”―

  ◆薄器-尻張棗・圓能斎在判・共箱。

  ◆茶杓―鵬雲斎家元作・銘・「閑居」。

  ◆茶碗―御本黄伊羅保。

  ◆替-色絵薩摩。

  ◆床―灰屋紹益筆・詠草・「山家月・桃山。

  ◆花入-時代籠。


―”名残りの茶事によせて”―

●「澄心庵」・・・●

 ★床。

 ★濃茶・薄茶席。



●●『高麗茶碗とは』・・・●●

★中国の唐物茶碗に対して朝鮮の茶碗を高麗茶碗という。
 およそ、十世紀から十四世紀までが高麗王朝十五世紀
 から十九世紀までが李朝。
 高麗茶碗といってもほとんどは李朝になってからのも
 ので、約六百年間日本に渡りつづけてきた。

★鎌倉期、南北朝から喫茶の風習は禅院を中心にひろま
 り、足利時代には将軍家を中心に上級社会へと普及し
 てゆく。
 台子点前であり唐物道具が尊重された。
 応仁の乱後の荒廃した世情は無常観が一層徹底した社
 会の価値も変わり、民衆が一揆をおこす世情となる。
 京都・堺の裕福な町衆たちにも喫茶は流行し、台子点
 前をはなれた侘び茶が唱えられた。
 村田珠光・武野紹鴎・千利休らは道具の美術鑑賞から
 一歩奥へ踏み込んで、茶の湯の一座建立に人間の心の
 協調共存をめざした。
 侘びとはものの足わぬこと、この世は苦であり無常で
 ある。
 完全な美をよりどころとする唐物茶碗ではなく、無心
 で自由、かつ素朴な高麗茶碗こそ、侘びの美意識にふ
 さわしいものとしてとりあげた。


●「高麗青磁」・・・●

  ★高麗青磁は、その多くが高麗時代に焼からた数少
   ない茶碗。
   唐物の青磁と比べて渋みを帯びた沈んだ色である。

  ◆高麗青磁茶碗。


●「古雲鶴・(こうんかく)」・・・●

  ◆狂言袴茶碗・銘・「浪花筒」。
                ・潁川美術館。

  ★文様を彫り、白土や赤土をうめて青磁釉をかけて
   焼く象嵌青磁の技法が用いられている。
   この手の茶碗は、高麗時代後期から李朝初期の作
   といわれる。
   雲と鶴の文様の茶碗を雲鶴と呼び、象嵌青磁の一
   種で、狂言師のはく袴の紋に似た丸文が施された
   ものを狂言袴という。


●「三島・(みしま)」・・・●

  ◆上田暦手三島茶碗。
                ・根津美術館。

  ★高麗時代の象嵌青磁の技法が李朝になって退化し
   たもの。
   井戸とともにもっとも早くから日本に伝えられた。
   文様が静岡県三島市三島神社が発行する暦に似て
   いることから名づけられたという説がある。
   暦手三島・礼賓三島・花三島・掻き落とし手三島
   ・彫三島に分類する。


●「刷毛目・(はけめ)」・・・●

  ◆刷毛目茶碗・銘・「水鳥」。

  ★刷毛で白泥を塗って装飾し透明釉をかける。
   三島と共通した作風で竹の節高台、平茶碗が多い。
   スピード感にみちた刷毛の勢いや、かすれた感じ
   が独特の景色をなして茶人の間でよろこばれる。
   また、茶碗の胴や見込みにひと刷毛だけをつけた
   ものを、外刷毛とか内刷毛と呼ぶ。
   この茶碗の銘は、見込みに見られる雨漏の染みが
   、水面に浮かぶ水鳥の姿の様に見えることに由来
   する。


●「粉引・(こひき)」・・・●

  ◆粉引茶碗。

  ★茶碗全体に、白泥と化粧がけをした様子が粉を引
   いたようなので、粉引・または、粉吹・(こぶき
   )・と呼ぶ。
   写真の茶碗は時代がついて、白というより飴色を
   呈している。


●「無地刷毛目・(むじはけめ)」・・・●

  ◆無地刷毛目茶碗。

  ★白泥を用い透明釉をかけて焼いたものだが、刷毛
   を使わずに、内部は白泥を全体に柄杓でかけ、外
   側は胴半分までズブがけにしている。
   また、白化粧でなく刷毛目のものもある。


●「堅手・(かたで)」・・・●

  ◆堅手茶碗・銘・「秋かぜ」。
                ・静嘉堂美術館。

  ★堅手とは・素地が焼き締り・手ざわりの堅い感じ
   がするところから出た名称。
   焼く成る年代は・李朝初期から後期に及ぶ。
   そのため堅手に分類される茶碗は作行や釉薬の調
   子も様々である。
   写真の茶碗は・釉薬が青味を帯びていかにも涼し
   げで・「秋かぜ」・の銘が全体の印象をよくあら
   わしている。


●「玉子手・(たまごで)」・・・●

  ◆玉子手茶碗・銘・「小倉山」。
                ・静嘉堂美術館。

  ★薬調が黄ばんだ乳白色で卵の殻のような貫入があ
   ることからそう呼ばれる。
   ・(略・・・・・)。


●「熊川・(こもがい)」・・・●

  ◆鬼熊川茶碗・銘・「田子月」。
                ・東京国立博物館。

  ★口造りは外側に端反りで・まるくふっくらと張っ
   た胴。
   いわゆる熊川形竹の節高台で見込みの茶溜りに鏡
   があることも熊川の約束といわれている。
   ・(略・・・・・)。


●「呉器・(ごき)」・・・●

  ◆尼呉器茶碗。
                 ・藤田美術館。

  ★禅寺で使う漆の椀に形が似ていることが名称の由
   来とされる。
   ・(略・・・・・)。


●「大井戸・(おおいど)」・・・●

  ◆大井戸茶碗・銘・「有楽」。
               ・東京国立博物館。

  ★数ある高麗茶碗のなかで、最も声価が高い。
   井戸茶碗には名物手といわれる大井戸のほか青井
   戸・小井戸・小貫入井戸などの種類がある。
   井戸という名称は、所持者の名前・(井戸若狭守
   )・によるものであるとか、見込みの深さを形容
   してのことであるとか、焼成された地名に由来す
   るなど、諸説様々である。
   写真の大井戸は、織田有楽の所持品であったと伝
   えられ・「喜左衛門」・「筒井筒」・「加賀」・
   「細川」・と並んで名物手のなかでも屈指の名器
   である。

  ―”大井戸の約束”―

  ★口径15センチ前後の深い朝顔形の姿。
   厚くかかった枇杷色の釉薬。
   ゆったりと胴にめぐる轆轤目。
   竹の節高台と高台脇の力強い削り跡。
   高台付近に生じた梅華皮・(かいらぎ)。
   見込みの自然な茶溜り。


●「青井戸・(あおいど)」・・・●

  ◆青井戸茶碗・銘・「瀬尾」。
                ・福岡市美術館。

  ★全体に釉薬が青味を帯びているためにこの名があ
   る。
   大井戸よりも小さく、開いた姿だが作風はよく似
   ている。
   渋い青は侘びの茶風が好む枯れた風情。
   因みに、小井戸とは、大井戸と比べて小ぶりで薄
   作、小貫入は釉に細かい貫入のある小ぶりな井戸
   のことをいう。


●「井戸脇・(いどわき)」・・・●

  ◆井戸脇茶碗・(二種)。
                ・福岡市美術館。

  ★井戸茶碗の条件を必ずしも備えてはいないが釉薬
   の調子や土味が井戸と似ている茶碗を井戸の脇に
   あるという意味から、井戸脇とよんでいる。
   そのため、写真右の茶碗は、高麗茶碗には珍しい
   筒形だが、これも井戸脇茶碗に分類される。


●「斗々屋・(ととや)」・・・●

  ◆斗々屋茶碗。
              ・サンリツ服部美術館。

  ★斗々屋は魚屋とも表記される。
   魚屋の店先に伏せてあったものを利休が発見した
   との説がある。
   鉄分のある細かい土で作られた・朝顔形に開いた
   平茶碗。
   本手斗々屋・利休斗々屋・平斗々屋に分類する。
   この茶碗は、斗々屋に属す。


●「蕎麦・(そば)」・・・●

  ◆蕎麦茶碗。
                ・李朝初期。

  ★その名称は・色が蕎麦を連想させるとも・井戸の
   系列で井戸の側・(そば)・をあててつけられた
   ともいわれる。
   ・(略・・・・・)。


●「伊羅保・(いらほ)」・・・●

  ◆釘伊羅保茶碗・銘・「苔清水」。
              ・五島美術館。

  ★砂まじりの粗い土で作られたため・手ざわりがざ
   らざらで・イライラした感じがすることからそう
   呼ぶ。
   も・井戸の系列で井戸の側・(そば)・をあてて
   つけられたともいわれる。
   ・(略・・・・・)。


●「柿の蔕・(かきのへた)」・・・●

  ◆柿の蔕茶碗・銘・「青柿」。
                ・五島美術館。

  ★茶碗を伏せた形が柿の蔕に似ている所から名づけ
   られた。
   鉄分が多い土味で・一見すると斗々屋にも似てい
   るが腰に弾がついてふくらみ・口造りが抱え気味
   になっているのが特徴。
   伝世品の数は少ない。



●●『織部の時代の高麗茶碗』・・・●●

★慶長から元和は古田織部の時代。
 利休の後をつぐ天下一の茶の湯者で、自由豪放な織部
 好みの茶碗・(御所丸・彫三島・割高台・金海の一部
 など)・がもたらされた。

★それ以前の利休や神谷宗湛らの茶人のいきのかかった
 高麗茶碗と考えられる、斗々屋・蕎麦・伊羅保などが
 渡来している。
 いま手元に発掘の李朝初期の無作為の平茶碗がある。
 陶土に鉄分があり白い長石釉がかかるので筒麦色。
 一杯の盛り切り飯の器、いわゆるサバル。
 低い竹の節高台で見込みに大きい鏡がありその内側に
 目跡が四つある。
 これを濃茶を練りやすくするために腰をさらに豊かに
 ふくよかにし、飲みよいように口造りがやや抱えこみ
 にと日本の茶人の作為が加えられて、蕎麦茶碗の約束
 となった。
 しかし、利休・織部の注文茶碗は、高麗茶碗に属し、
 寛永以降のものを御本という。


●「御所丸・(ごしょまる)」・・・●

★故意に歪められた沓形・黒と白にかけわけた釉薬など
 ・黒織部沓茶碗と共通点が多く・いかにも織部好みを
 感じさせる茶碗。
 朝鮮との貿易御用船だった御所丸に船載されてきたこ
 とが名称の起り。

  ◆御所丸茶碗・黒刷毛目。
                ・静嘉堂美術館。

    ★黒織部沓形茶碗・銘・「わらや」。
                ・五島美術館。


●「彫三島・(ほりみしま)」・・・●

  ◆彫三島茶碗・銘・「木村」。
                ・東京国立博物館。


●「金海茶碗・(きんかい)」・・・●

  ◆金海茶碗。
                ・静嘉堂美術館。



●●『御本茶碗の登場』・・・●●

★文禄・慶長の戦争のため日本と朝鮮の正式の国交は十
 年あまり絶えるが、慶長十二年に対馬の宗家と朝鮮と
 の間に条約が結ばれた。
 寛永十六年に釜山窯が始まり、日本の将軍・大名・富
 豪らの注文の手本による茶碗。
 その他の茶陶焼きが焼かれた。
 その茶碗を御本茶碗という。

★織部好みの彫三島・(21頁参照)・と檜垣文様・印花
 のデザインは同じであるが、写真の御本茶碗の彫三島
 は陶土がきめ細かくねばりがあるので、薄くのびやか
 で大ぶりに轆轤がひかれる。
 枇杷色の地に印花の白い文様は瀟洒で優美背景に日本
 人の美意識が流れている。

★江戸初期の茶の湯の指導者、小堀遠州の数寄の精神と
 考案により、釜山窯で日本の茶人である特定の燔師に
 より焼成された御本茶碗は、古い高麗茶碗の典型とし
 つつも、新しい美の型を生む。
 御本立鶴・御本雲鶴・御本三島・御本堅手・絵御本・
 御本半使・御本御所丸・御本金海・御本呉器・砂御本
 ・など非常に多様である。
 また、時代の好みでのその作行きは、前期は薄手で大
 ぶりで品よく、後期は小ぶりで厚作、退要的となる。

  ◆御本彫三島茶碗。


●「遠州好みの・前期・御本茶碗」・・・●

  ◆絵御本茶碗。

  ◆御本立鶴茶碗。


●「御本茶碗の変遷」・・・●

  ◆御本狂言袴茶碗。

  ◆御本刷毛目茶碗。

  ◆茂三半使釉茶碗。

  ◆茂三内刷毛目茶碗。

  ◆御本半使釉玄悦茶碗。

  ◆文字入御本茶碗。

  ◆絵御本茶碗

  ◆御本象嵌三島茶碗・(馬)。


●「新渡り御本」・・・●

  ◆新渡り御本花三島茶碗。

  ◆後熊川茶碗。

  ◆御本三島水指・(遠州好み)。


●●「無作意の美を賞翫する」・・・●●

―”自然物のごとき高麗茶碗の景色”―

**”(図版と解説)”**


―”目跡・(めあと)”―

★高麗茶碗はその多くが日用の雑器として作られた器。
 たくさんの茶碗を一度に焼くために、成形した茶碗を
 いくつも重ねて窯に入れる。
 その際、器と器がくっいてしまわないように、上の茶
 碗の高台畳付の部分と、下の茶碗の見込みの部分のあ
 いだに、いくつかの小さな粘土の塊を隔てとして挟ん
 だ。
 焼きあがって粘土を取れば、その痕跡が畳付きと見込
 みにのこる・(当然のことだがいちばん上に積み上げ
 られた茶碗の見込みには存在しない)・これが目跡で
 ある。
 目跡は高麗茶碗の見込み、高台と鑑賞する際の重要な
 景色とされる。
 使いこまれた茶碗の目跡は、黒ずみ、えもいわれぬ風
 格を醸しだす。
 また、粘土の塊の替りに隔てとして砂を置いた場合そ
 の跡は・「砂目」・と呼ばれる。

  ◆井戸脇茶碗・(高台・見込み)。


―”梅華皮・(かいらぎ)”―

★井戸茶碗などの高台付近にみられる釉薬の縮れを、梅
 の木肌に譬えてこう呼ぶ。
 梅華皮が生じる理由には、二つの条件が考えられる。

★轆轤びきのあと、高台を荒々しく箆で削り出すと、土
 がめくれて、ささくれだった状態になる。
 そこに釉薬をかけて焼成すると、肌に均等に釉がかか
 らず、縮れて固まる。
 また、重ね焼きを行うと、どうしても茶碗の腰から下
 の部分は温度が上がらない。
 このため、釉薬が完全に溶けていない状態、玉のよう
 に固まったままで窯出しされるころになる。
 梅華皮はことに井戸茶碗の豪快な味わいの条件として
 、茶人にやかましくいわれる。

  ◆大井戸茶碗・銘・「有楽」。
                ・東京国立博物館。


―”片身替り・(かたみがわり)”―

★釉薬の調子が半分づつ、あるいは一部異なっているこ
 とを片身替りと呼ぶ。
 焼成の際、窯の炎の酸素の量によって、同じ土、釉薬
 でも発色が異なる。
 酸素が少ない状態で焼かれることを還元炎酸焼成とい
 う。
 その逆に、酸素が多い状態で焼かれたときは酸化炎焼
 成。
 一般に長石釉の場合、還元炎では鼠色を呈し、酸化炎
 では赤味を帯びる。
 窯のなかで釉薬が溶けるとき、偶然の作用で、一部が
 酸化炎・一部が還元炎で焼かれるという不均等な焼成
 が行われると、片身替りの景色が生まれる。
 片身替りは、蕎麦・斗々屋・呉器などに多くみられる
 景色である。

  ◆御本半使茶碗。


―”火間・(ひま)”―

★全体にかけられるはずの釉薬が、一部かけのこされ、
 素地が見えている状態のこと。
 朝鮮の陶工が無造作に釉がけした際に、偶然生まれた
 ・「かけはずれ」・である。
 火間の印象が茶碗の景色となる場合も多い。
 不完全な美を尊ぶ侘びの美意識は、これを欠点とせず
 、見どころとしたのである。

  ◆熊川茶碗・(見込み)。


―”貫入・(かんにゅう)”―

★釉薬の表面にあらわれた細かなひび割れのこと。
 焼成した際の、釉薬と素地の収縮率の違いから生じる
 ことが多い。
 また、使い込まれていくうちに、ひび割れに湯や茶が
 しみこみ、貫入は黒く、よりはっきりと刻まれていく。

  ◆雨漏堅手茶碗・(見込み)。



●●『高麗と御本の質問室』・・・●●

―”杉浦澄子/聞き手・編集部”―

**”(Q&A・11問) ”**

 ★高麗茶碗が日本に渡来したころの、朝鮮半島の歴史
  的な背景を教えて下さい。

 ★高麗青磁のルーツは、やはり中国の青磁でしょうか。

 ★では、なぜ華やかな唐物に変わって、高麗茶碗が日
  本で好まれるようになったのでしょうか。

 ★高麗茶碗は日用の雑器であったと解説されています
  が、どのような用途に使われていたのでしょうか。

 ★高麗茶碗と御本茶碗の味わいの違いは、どの辺にあ
  るのでしょうか。

 ★高麗・御本が作られた朝鮮土の特徴について教えて
  ください。

 ★その顕著な例がいわゆる・「雨漏手」・ですね。
  もう少しくわしく教示ください。

 ★粉引・無地刷毛目・堅手の区別がもうひとつよく分
  からないのですが。

 ★茶席で使う際の高麗茶碗の格についてお伺いしたい
  のですが。

 ★高麗茶碗の取り合わせのポイント、濃茶・薄茶の使
  い分けなど教えてください。

 ★最後に高麗茶碗と御本茶碗とは、現代の茶の湯にと
  っていったい何なのでしょうか。
  ご意見をお聞かせください。


―”エッセイ”―

●●『高麗茶碗と私』・・・●●

**”三輪龍作・(陶芸家) ”**



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